昨夜、名立区で20年前から活動している演劇サークル「いろり座」による『名立機雷事件から~明日への伝言~』の公演がありました
*会場の北地域生涯学習センターにはこんなに多くの人が…
名立機雷(爆発)事件というのは…
『太平洋戦争が終わって4年経った1949年(昭和24年)の3月30日、名立小泊の海岸に流れ着いた機雷が爆発し、ちょうど春休みでその場に多く集まっていた小中学生42人を含め63人が亡くなった事件』です(公演パンフレットから要約)
*機雷爆発直後の惨状
公演パンフには『めまぐるしく時が流れて、戦後66年のこの日。名立の地域で終戦から4年もたった昭和24年に起きた機雷爆発事件を知りたいと声があがった。その願いにこたえて…』とあるように、昨年からこの事件について次代に伝えていかなければという取組みが区内の二つの団体でありました
その一つが昨夜の公演で、もう一つは当時の関係者への聞き取りを収録したDVDの作成です
この事件から62年を経過しているといはいえ、犠牲になった方々の親、兄妹、親戚など、多くの親族や関係者のみなさんの心中を思い遣れば、二つの団体の取組みには難しい部分もあったのではないかと思います
それでも、「卒業式を終え、新しい中学への希望をいだき、未来への夢を胸いっぱいにふくらませていた」(パンフから)こどもたちの無念さへの鎮魂や二度とこのような悲惨なことが起きないようにという強い祈りがこうして形になったものと思います
この事件の2年後に生まれた私も小さなころから親からや学校等でこの話を聞いていました
そして、昨夏、いきいきサロンのみなさんへのインタビューで改めて実体験としての生の声を聞くことができました
それを冊子「名立に生きる」では次のように載せさせていただきました
『そして、やはり機雷爆発事件の記憶が今も生々しくみなさんの心の中に残っていました。
昨日まで一緒に勉強したり遊んでいた同級生や友だちがもう「終わったはず」の戦争の犠牲者になってしまったのです。
名立町史によれば太平洋戦争で戦病死した名立町出身者は225人となっていますが、この機雷爆発で犠牲となった63人を含めた288人が名立町の本当の意味での戦争犠牲者といえるのではないでしょうか。』
私たちが作成した冊子はこの機雷爆発事件をメインにしているわけではありませんが、みなさんのお話の中で最も多かった「戦争の記憶」に関連して、やはりこの事件のことが年齢、地域を超えて語られました
そういう意味ではサブタイトルに「時代を超えて伝えるもの」という思いをもって作成したこの冊子に書かれていることが今のこどもたち、そしてこれからのこどもたちにも伝わっていってもらえればと願っています
昨夜の公演中、鼻をすする音があちらこちらから聞こえてきました
あの日を思い出したり、犠牲になった方々を偲んでおられるのでしょう
そして、今回の大震災で亡くなったり、被災された多くの人たちの姿と重ねて悲痛な思いになっている人もきっと多かったと思います
名立区内にはこの63人の犠牲者を弔う供養塔と「平和をまもる」碑が名立小泊町内に建っていますし、事件現場近くには地蔵尊が建立されています
*この地蔵尊は石工だった私の父が作ったものです
この思いが明日へつながっていくことを信じています