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東北地方太平洋沖地震⑥~信じられない知らせ~

市政私が東京事務所に勤務していたのは1998年からの2年半でしたが、その間、多くの方と公私にわたり親交を深めさせていただきました
その中のお一人に盛岡市東京事務所長のTさんがいました

東京事務所は一般的にはどの都市も大体3年前後の勤務になっていますし、各市によって東京事務所設置の目的も違いますし、それぞれの事務所の所在地も都内数か所に分かれています
盛岡市東京事務所は有楽町駅近くにありましたし、上越市は日比谷公園内の市政会館の中にありました
そんなこともあってTさんと普段から頻繁にお会いする機会はあまりなかったのですが、たまたま所長会の研修会の幹事を一緒にやったことから、その後お互いの事務所を行き来するようになりました

私にとって盛岡市はまったく未知のまちでしたが、そこは宮澤賢治や石川啄木などが生まれ暮らした土地であり、一度は訪れてみたいと思っていたまちでした
そして、なんといってもTさんの温かな人柄に魅かれたのは間違いのないことです
Tさんのいつもにこやかな笑顔と話に熱中すると自然と出てくる優しげな東北訛りが慣れない東京勤務の一時の安らぎでした

そんなTさんは私よりも先に盛岡市に戻られ、幹部職員として重責を担われていました
そして、Tさんに再会したのは私が東京事務所から戻り、当時の仕事の関係で東北地方に出張した帰りに盛岡市に寄ったときでした
盛岡市駅前のホテルを予約していただき、夕食には「盛岡に来たらこれ食べていってよ!」って冷麺をご馳走になったり、翌日はTさんの運転する車で宮澤賢治に関するいくつもの施設等を案内していただき、東北新幹線の新花巻駅でお別れしました

その後は数回の往復信はあったものの、いつの間にかの長いご無沙汰になってしまいました
そこに、今回の地震です
地震のお見舞いやご無沙汰をお詫びする気持ちもあって数日してから当時お聞きしていた携帯番号に電話をしたところ「ただいまこの電話は使われておりません」とのことで、番号が変わったのかなと思っていましたし、地震直後ということもあってその後は連絡していませんでした

昨日、改めて連絡を取ろうと思い、104に問い合わせましたが今でもなかなかつながらず、そこで当時の名簿を探したり、軌楽庵さんにもお伺いしたりしたのですがどうしてもわかりませんでした
そこで、昨夜、盛岡市東京事務所にこうした経緯を説明し、Tさんの連絡先を照会するメールを出していたのです

そして、今日午後、その返信がきました
そこには…

「お問い合わせのT元東京事務所長さんの件でございますが,
実は,昨年の10月に野外でのボランティア活動中に急死なさいました。
(心臓麻痺とお聞きしています。)」

もちろんこんなことなんか思いもよらぬことで茫然としてしばらくはこの先を読むことができませんでした
「なんで…、なんで…、なんで…」と頭の中でこの言葉だけがグルグル回ります
そしてTさんのアタタカナ笑顔が浮かんでは消えていきます

今はまだ信じられない気持ちとTさんのご冥福を祈る気持ちとが入り交ざっています

どうしてこんなに悲しいことばかり続くのでしょうか?
by mm-nadachi | 2011-03-17 22:19 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)


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