まず、昨日のブログの“忘れもの”ですが、米山登山は20日(土)のことでした。
もともとこの日は最後の巡礼に出かける予定だったのですが、4日前にKさんからのお誘いがあって、巡礼を翌21日(日)に延ばして登山してきたというわけです。
そして、登山の疲れがまったくないとは言えないまでも、翌日は予定どおりに巡礼に出かけるつもりでいろいろな準備を進めていたのですが、天気予報は雨模様で、しかも夜には雨が降り出してきて…。
でも、雨の巡礼は前回でも経験済みなので“普通に”行けばなんの問題もないのですが、今回は聖籠町と三条市(旧下田村)の2ヶ所を自転車“輪行”しようと目論んでいたのでした。
そして、“雨中の自転車”も5月末の160kmライドがそうだったように、ただ乗るだけであれば可能なんですが、いくらなんでも自転車用短パン(お尻のところにクッションがあるアレです)で般若心経を読むわけにはいきませんし、雨であれば着替えも何枚か用意しなければならず、そうすると荷物が多くなって…。
と迷いつつもそれなりの準備をして、寝るまでは初心貫徹の思いでしたが、雨音で目覚めたのが5時半。
前夜よりも激しい雨で、おまけにテレビから聞こえるは「大雨洪水注意報!」
これできれいさっぱりと気持ちを切り替えることができましたが、でも、せっかくそのつもりだったのだからと、時間を遅らせて電車で聖籠町に向かうことにしたわけです。
ところが…
《第29番観音札所 宝積院》白新線佐々木駅から徒歩40分
春日山駅発9:56で佐々木駅には13:00前に到着。
空は…なんと青空!
あの雨は朝方だけだったようで、雨上がり特有の湿気が駅前広場に漂う中を歩き出す。
聖籠町といえば…さくらんぼ!
国道沿いに果樹園が並び、さくらんぼ狩りの観光客の姿もチラホラの横を汗をふきながら歩く。
約40分で田んぼの真ん中の古墳風のこんもりした森の中の宝積院に到着。
参道前で「聖者が籠もる町」が聖籠町の由来という説明文を読む。
ならば名立は「名前が立つ町」か…。
納経帖にご朱印をいただき、帰りはバスにて新発田市内に向かう。
目的は蕗谷虹児(ふきやこうじ)記念館。
「蕗谷虹児(1898-1979)は竹久夢二の紹介により少女雑誌に絵や詩を発表し、そのモダンな作風が読者の熱狂的な支持を得て、一躍人気スターとなりました。シャープな線によるペン画や、数々の雑誌を飾った華やかな表紙や口絵、明るくみずみずしい色彩に溢れた絵本の挿絵は多くの人に愛されてきました。童謡「花嫁人形」の作詩者としてもよく知られています。画家、イラストレーター、詩人、グラフィック・デザイナーなど、一人何役もこなす多才なアーティストでした」(*記念館HPから引用)
記念館には今回が3(4?)度目になるが、その抒情的な画風や美男子的風貌のせいかいつものことながら女性客が多い。
巡礼帰りの汗臭さはこの記念館にはフサワシクナイと悟り、まだまだ暑い中、新発田の街に歩き出す。
****************************
さて、巡礼も残り1ヶ所。
33番札所は三条市の最明寺です。
しばらく週末はいろいろあって巡礼は無理ですし、そして実は今日から岩の原葡萄園で昨秋に続きアルバイトを週3日ペースで始めました。
そのことはまたにして、もちろん農園仕事もあるので現実的には“次の雨の月曜日”に行ってくることにします。