10日から2泊3日で3度目の“青春18切符・ひとり旅”に行ってきました。
昨年3月の奈良・京都が最初で、12月には東京・横浜・鎌倉に行き、今回は仕事していたときに大変お世話になったお二人との久々の再会を兼ねての名古屋・鈴鹿方面への旅でした。
名古屋駅での待合わせまで少し時間がありましたので、今回の旅のもうひとつの楽しみだった多治見市にある永保寺を訪ねてみました。
永保寺を知ったのは五木寛之さんの「百寺巡礼」(講談社文庫)の第4巻「滋賀・東海」に載っていたのを最近読んだばかりだったからなのですが、その中で、特にこのお寺を開いた無窓疎石が座禅(永保寺は臨済宗南禅寺派の禅寺)を組んで瞑想したといわれている「座禅石」に五木寛之さんが座り、永保寺の全景を見下ろしている写真に惹かれました。
永保寺までのタクシーの中で、平日のほうが参拝者が多いという運転手さんのお話のとおり境内には人影もまばらでしたので、先に国宝に指定されている観音堂や開山堂を見学した後で、永保寺のすぐ横の長瀬山にある座禅石を探してみました。
この座禅石については境内の案内図にもなく、私も文庫本を読んでいたにもかかわらず「あれかな?」っていうくらいの気持ちで結構きつい山道を足をすべらせながら登っていきました。
そして、その場に着いて、あの写真と同じ景色が眼下に広がっていました。
「私は疎石と同じように、その岩に座ってみたいと思い」、そして、「目がくらむような岩壁の先にあるその岩に座ったとき、私は一種奇妙な感覚を味わった。冷たいはずの岩の下から、なにか突きあげるようなエネルギーを感じた」と五木寛之さんは書いていますが、“どみそ”(私は使いませんが、この地域で“意気地なし”のこと)な私はとてもじゃないですが座禅岩に立つことなどできず、写真のようにへっぴり腰で恐るおそる下を覗き込んだのが精一杯でした。
今回のひとり旅で読んだ本は五木寛之さんの「蓮如」(岩波新書)、「林住期」(幻冬社刊)、そして、松本駅で買った「松本清張短編全集05声」の三冊でした。
旅に出たなら本を閉じて流れゆく車窓からの景色を見ればいいものを、どうして本を読みたくなってしまうのでしょうか?