カテゴリ:東北地方太平洋沖地震( 9 )

吾唯知足

吾唯知足(「われただたるをしる」)、これは「禅の修行者、また在俗の信者によっても愛読された各種の禅宗語録に見える言葉=禅語の語彙集で、室町期から次々と編まれ、心の指針を与えてくれる金句集として、禅僧には禅語に習熟するための手引きとして読まれてきた」禅林句集という中にある言葉で、『己の分際をわきまえ、むさぼりの心を起こさぬこと』という意味です
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今日は久々に電車に乗ってこの言葉を由来とする知足美術館(新潟市)でやっている『杉田玄 ボタニカルアート展』を観に行ってきました
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“ボタニカルアート”という言葉を浅学な私は今回初めて耳にしたのですが、「決して真新しい言葉ではありません。古代エジプトや中国などでは薬草を見分けるために図譜が作られました。それが植物画の始まりです。大航海時代になって、ヨーロッパ諸国が競って世界各地を探検するようになり、珍しい植物を求め奥地にまで入って行きました。まだ写真のない時代、植物学者と画家がペアーを組み、植物学的にも正しく詳しい絵が続々と本国に送られました。送られてきたそれらの絵があまりにも素晴らしいということから、主にイギリスやフランスで19世紀に大流行しました。今やホテルやレストランのインテリアの絵として定着し、愛好されています。日本では、日本画の歴史があり、植物も平面的に描かれていましたが、明治に入り東京大学の植物画教室において立体的に見える植物画が描かれるようになりました。でも、その絵はまだまだ一般的ではなく、絵のジャンルとして確立してきたのはほんの二十年ほど前です。そして、最近になって自然志向の流れと共に、静かなブームを迎えるようになりました。しかし、日本ではまだまだボタニカルアートが広く一般的には認知されていません」と少し長くなりましたが、そういうものなんだそうです

この植物画を描かれた杉田氏は上越市の医師で、あの樹下美術館の館長さんです
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これまでも杉田さんの絵は氏の医院や樹下美術館で拝見したことはありましたが、このように50点もの「細密的に描いたボタニカルアート」は初めてです

そして、展示も冬~春~初夏~夏~秋~初冬と館内を一回りすると上越の四季が感じられるような流れになっています
描かれている植物はどこにでもあり、普段は特に気にもかけないようなものばかりですが、キャンパスの上で生き生きと描かれ、咲いています

パンフレットには「もの言わぬ花の喜びと悲しみ、そして希望。一途な営みに心打たれて…」植物画を描き始められたとありました

「悲しみから希望へ」、そして「吾唯知足」ということ
今、私たちがちゃんと考えなければいけない言葉なのではないのでしょうか…
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by mm-nadachi | 2011-03-29 22:49 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

私たちにできること

当市にも東北地方太平洋沖地震で被災された315人の方が当市が開設した避難所に避難されているんです(3月22日15:00市のホームページから)が、そうしたみなさんへの救援物資の受け付けやボランティアの募集について、今朝、防災行政無線放送がありました

そこで、詳細を確認しようと市のホームページを見たら、時期によって品目に違いがあって今月末までであれば下着や靴下、紙おむつなど全部で9品目になっていました

ほとんどが日常生活用品ですし、わが家でもなにかあるかな~と思いながら読んでいたんですが、一人より二人、二人より三人…というふうになればいいなと思って、もちろんそれは強制ではなく、その気持ちがある人だけでもいいから…と、横町いきいきサロンのみなさんに声をかけてみませんかとH代表に相談しました
例えば、一人一枚のタオルでも10人集まれば10枚です
それを運営委員が預かって、品目ごとに分類して《横町いきいきサロン》として届ければ…

そしてこんなふうに急きょ《サロンだより》を作ってみなさんにお願いに回りました
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27日に今月のサロンがありますので、その後で協力いただける方の家を回る予定です
一人でできることもあればこんなふうに多くの人でできることもありますね
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by mm-nadachi | 2011-03-23 00:27 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

潮騒

午前中、直江津にちょっと用があり、リハビリ散歩を兼ねて久々に電車で行ってきました
その帰り、直江津前広場にあった彫像に目がいきました
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これはこの広場ができた当時からあるはずなのでもう10年以上も経っているんですが、なぜだか今日は…
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            *上越市出身の岡本銕二(おかもとてつじ)作『潮騒』


凛とした眼差しで前を見つめる少女
その足下と頭上には鳩が…

少女の澄んだ目に10日前の地震からの復興に向けた願いとか祈りとか明日への希望とか、そんなものを感じたせいかもしれません
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by mm-nadachi | 2011-03-20 22:09 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

東北地方太平洋沖地震⑥~信じられない知らせ~

市政私が東京事務所に勤務していたのは1998年からの2年半でしたが、その間、多くの方と公私にわたり親交を深めさせていただきました
その中のお一人に盛岡市東京事務所長のTさんがいました

東京事務所は一般的にはどの都市も大体3年前後の勤務になっていますし、各市によって東京事務所設置の目的も違いますし、それぞれの事務所の所在地も都内数か所に分かれています
盛岡市東京事務所は有楽町駅近くにありましたし、上越市は日比谷公園内の市政会館の中にありました
そんなこともあってTさんと普段から頻繁にお会いする機会はあまりなかったのですが、たまたま所長会の研修会の幹事を一緒にやったことから、その後お互いの事務所を行き来するようになりました

私にとって盛岡市はまったく未知のまちでしたが、そこは宮澤賢治や石川啄木などが生まれ暮らした土地であり、一度は訪れてみたいと思っていたまちでした
そして、なんといってもTさんの温かな人柄に魅かれたのは間違いのないことです
Tさんのいつもにこやかな笑顔と話に熱中すると自然と出てくる優しげな東北訛りが慣れない東京勤務の一時の安らぎでした

そんなTさんは私よりも先に盛岡市に戻られ、幹部職員として重責を担われていました
そして、Tさんに再会したのは私が東京事務所から戻り、当時の仕事の関係で東北地方に出張した帰りに盛岡市に寄ったときでした
盛岡市駅前のホテルを予約していただき、夕食には「盛岡に来たらこれ食べていってよ!」って冷麺をご馳走になったり、翌日はTさんの運転する車で宮澤賢治に関するいくつもの施設等を案内していただき、東北新幹線の新花巻駅でお別れしました

その後は数回の往復信はあったものの、いつの間にかの長いご無沙汰になってしまいました
そこに、今回の地震です
地震のお見舞いやご無沙汰をお詫びする気持ちもあって数日してから当時お聞きしていた携帯番号に電話をしたところ「ただいまこの電話は使われておりません」とのことで、番号が変わったのかなと思っていましたし、地震直後ということもあってその後は連絡していませんでした

昨日、改めて連絡を取ろうと思い、104に問い合わせましたが今でもなかなかつながらず、そこで当時の名簿を探したり、軌楽庵さんにもお伺いしたりしたのですがどうしてもわかりませんでした
そこで、昨夜、盛岡市東京事務所にこうした経緯を説明し、Tさんの連絡先を照会するメールを出していたのです

そして、今日午後、その返信がきました
そこには…

「お問い合わせのT元東京事務所長さんの件でございますが,
実は,昨年の10月に野外でのボランティア活動中に急死なさいました。
(心臓麻痺とお聞きしています。)」

もちろんこんなことなんか思いもよらぬことで茫然としてしばらくはこの先を読むことができませんでした
「なんで…、なんで…、なんで…」と頭の中でこの言葉だけがグルグル回ります
そしてTさんのアタタカナ笑顔が浮かんでは消えていきます

今はまだ信じられない気持ちとTさんのご冥福を祈る気持ちとが入り交ざっています

どうしてこんなに悲しいことばかり続くのでしょうか?
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by mm-nadachi | 2011-03-17 22:19 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

東北地方太平洋沖地震⑤~私にできること~

こちらも久々の雪と冷え込みでしたが、東北の被災地も雪が舞っていました
明日は真冬のような朝になりそう…
日本海側は大雪になりそう…
そんな天気予報がでています

今日もテレビで被災地のあまりの惨状や大切な人を失った方の悲しい様子になんども涙してしまいました

昨日、接骨院でこんなことを言われました
「Mさんも早くこの脚治して(支援に)行かないとね…」
院長はなにげなくお話したのでしょうが、私にはけっこう重くのしかかっています
でもいくらそう思っても今の私の(脚の)状態では無理です

そこで急に思いたってこんなメールをかつて一緒に仕事をしたみんなに送りました
 
 みなさん へ
 おはようございます
 ずいぶんのご無沙汰になりましたが、お変わりありませんでしょうか?
 先週末からの地震対応や今日からの計画停電対応、そして平常業務(しかも年度末)と大変厳しい状況かと思っています
 みなさんの中にもご家族、ご親戚、お友だち等々、多くの方が今回の震災の被害に遭われている方もいるでしょうし、そうしたことに気をかけながらの仕事は個人的にはとても辛いことかと思います
 でも、みなさんの活躍を私をはじめとする多くの市民、そして被災地のみなさんが期待しています
 今、多くの人がなにを求めているのか?
 今、行政として、一人の職員としてなすべきことはなにか?
 もうしばらくはさまざま困難な状況が続くことかと思いますが、こうしたことを念頭におきながら、ぜひ多くの人たちに一日も早く笑顔が、穏やかな日々が戻るようにご尽力くださるようお願いします
 突然の、そして大変失礼なメールになりましたが「かつて一緒に同じ思いを持ってがんばって仕事をしてきた」今はいち農夫のたわ言とお許しください
 なお、くれぐれも体調には気をつけてお過ごしください

先日のブログで書いたように私も在職中は2つの大きな地震対応のほか、大雪対応にもなんどか携わったこともあり、災害時対応の激務や大変さを経験していましたので、今、その現場でがんばっている彼ら、彼女らへの激励の意味を込めて送ったつもりでした
早速忙しい中、何人かから返信をもらいました
みんながこうした気持ちでそれぞれの仕事に今、真摯に向き合っていることがわかり、とても嬉しく思いました

そして、さっき市のHPに「東北地方太平洋沖地震に伴い当市が開設した避難所で活動するボランティアの募集について」という最新記事が載っていました

市内に避難所が開設されるということは午後に聞いていたこともありましたので明日にでも申し込みを…と思いましたが、やはりこの脚が不安です
「今、私にできること」がようやく見つかった!のに…
なんとも歯がゆくて情けない思いです
でも、明日少し相談してみようと思います
「こんな私でもなにかできますか?」

今夜、福島のTさんとようやく電話でお話ができました
状況は先日、東京の義姉から聞いたのとほぼ同じでしたが、「地震や津波はそれほどでなかったんだけど、原発がね~」と、“見えない恐怖”にやはり心配そうな声でした
一日も早くこの不安が消し飛んでいくことを祈らずにはおられません
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                *福島原発から約25KmにあるT家
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by mm-nadachi | 2011-03-16 23:46 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

東北地方太平洋沖地震④~見えない恐怖の怖さ~

今日で8日目になる接骨院治療の前に、その近くにあるスーパーマーケットに寄りました
ここの院長が今回の地震発生以来、その後の経過に大変強い関心を示していて、それには院長自身の思いもあるのでしょうし、また、所属される接骨師会での各種ボランティア活動の経験もあるからなのでしょうか、治療していただきながらの会話はもっぱら地震に関することです
その中に昨日からこのあたりでも飲料水とかガソリンとか品薄になってきてるって話がありました
それは新聞やテレビなどで報道されているくらいの認識だったんですが、それを確かめたいという気持ちもあって…

入口から近いところに早速ガランとした棚がありました
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「なにかな?」と近寄ってみたらそこは納豆売り場でした
「なんで?」と思いつつさらに近寄ってみるとこんなものが…
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そして、もう少し見て回るとさっきの納豆の棚以上のガラ~ンとした棚があって、そこは一目でカップラーメン売り場とわかりました
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その後“彼”を探して店内を歩きまわってみましたが、ほとんど彼の姿を見かけることはありませんでした

こうしたことはきっと今回の地震による防災グッズとしての補充や被災地への送付等々が原因になっているのは明白ですが、ここ東北電力エリアでも明日から始まる予定の計画停電同様、今は一人ひとりが自分の暮らしをしっかり見つめ直し、必要最小限のものだけにしたいものです
それが直接的ではないにしろ間接的に被災地への支援につながるものになるものと思います

さっき東京の義姉に電話して、福島・南相馬市の実家の状況を聞きました
避難エリアが20Kmから30Kmに拡大され、屋内退避エリア内に入ったそうです
「うち(=名立)に来てもらって…」と義姉に話ましたが、電気、水道も通常どおりだし、近所の人たちもまだ避難していないとのこと
そして、避難するにしてもおばあちゃんもいるし、ガソリン補給とか、また移動先の状況や環境が分からない段階では家に残るんだって…という話でした

余震も続く中で原発(放射線)という見えない恐怖にさいなまれつつの時間がどれだけ大変なのかは想像に難くありませんが、それはあくまで“想像”でしかありません
無事を祈るだけです

こうしている間にも東北、そして東海地方でかなり強い地震があり、ここも少し揺れました
さっき被災地の状況をテレビで見ながら「明日のために今日をがんばろう!」と思ったばかりでしたが、本当にそれにしても一体どうなっているのでしょうか?!
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by mm-nadachi | 2011-03-15 22:45 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

東北地方太平洋沖地震③~無事でありますように!~

昨日からテレビを見ていると今まで“東北地方太平洋沖地震”と呼んできものがテレビ局によっては「東日本巨大地震」のほか「東北関東大震災」「東日本大地震」「東日本大震災」など、いろいろな表現になってきています
そして、マグニチュードも8.8から世界最大級の9.0に修正されています
今日で地震発生3日目になり、被害は当初の想定を大きく上回るものとなっていて、心が痛むばかりです

そんな中でも最も気にかかることといえばやはり原発事故のことです
というのも、新潟県にも柏崎刈羽原子力発電所があり、ここ名立からは約65Kmしか(!)離れていないのです
とはいえこれまでそんなことを強く意識したこともなく、新潟方面に行くときに高速道路から高い鉄塔や送電線等を眺める程度だったのは確かです
ただ、だからといってこれからどうすればいいのか…
ちゃんと考えていかないといけないと思います

そういえば、さっき東京の兄から電話がありました
彼もあの日は会社の同僚宅に泊まったらしいのですが、その兄の妻の実家が福島・南相馬市にあります(2010.10.09ブログ)
幸いにも地震や津波での直接的な被害はなかったようですが、福島原発の避難エリアに含まれてはいるものの、どうしているのかは不明だと言っていました
昨秋に自転車で走った風光明媚な松川浦などの無残な光景がテレビで流れていました
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福島のT家のみなさんをはじめ多くの人が無事であることを祈っています
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by mm-nadachi | 2011-03-13 23:23 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

続・東北地方太平洋沖地震~余震やまず!~

なんど見ても、というより見れば見るほど恐ろしいほどの津波の猛威です
以前にも冬の荒れる日本海の写真をブログでご覧いただいたこともありましたが、あの岩にぶつかって高く白波を上げる風物詩的な光景とはまったく違い、テレビに映る津波はなにか“意思”をもった黒い悪魔のような動きに見え、背筋が凍るような思いでした
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これは午前中に行った接骨院の帰りに撮った一枚(場所は能生トットコ岩)で、白波は見えますがいたってのどかな冬(春)の海です
午後には日本海沿岸に発令されていた津波注意報も解除されました

そういう思いというか感じがあまりに強かったせいか、今朝がたの地震はいきなりのガタガタいいながらの強い揺れ(震度5弱)ではありましたが、時間も短かったせいか、それほどの怖さを感じなかったのが不思議でした

昨夜からわが家でも防災袋の点検をして、枕元には懐中電灯と携帯電話を置き、パジャマに着替えないで寝ています
さっきまた余震がありました
今夜は緊急地震速報で起こされないように祈ります
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by mm-nadachi | 2011-03-12 22:33 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

東北地方太平洋沖地震

なんだか少し気分が悪い感じだな~と思ったら、窓辺にぶら下げたままになっていた風鈴がチリンと鳴って、急いで下に降りていって「おー地震だ!」

その後テレビから流れてくる映像で広域的に大変な被害が徐々に明らかになってきます
特に家屋や車などを巻き込みながら田んぼをのみ込んでいく津波の映像を見たときは、まるで映画かなんかの特殊映像かと思うほど、現実感なく見てしまったほどです

そして、今日の地震はマグニチュード8.8で国内最大規模とかですが、私にとってはこれが4番目の大きな揺れと恐さを感じた地震です

最初は中学2年生だった1964年の1学期、お昼休みが終わり午後の授業に教室に入ろうとした瞬間に校舎全体がグラグラと揺れ、みんでグランドに飛び出した新潟地震はM7.5でした

そして、40年後(!)の2004年の中越地震(M6.8)のときは土曜日の、それも夕方なのに仕事をしていて、地震直後に防火シャッターがガチャンガチャンとものすごい音を立てて閉まったことを思い出します

そのわずか3年後の2007年の中越沖地震(M6.8)のときは灘立農園で畑作業をしていたときで、あのとき初めて地面が揺れるってこういうことかという経験をしました

ということころで、今、東京にいる二男からようやく電話がきました
夕方から携帯に電話をしていたのですがまったくつながらないで心配していたのですが…
勤務先の東陽町から3時間ほど歩いて、今、高円寺あたりとかで、住まいの荻窪までもう少しです
コンビニにはなにも食べ物がないとのことでさすがに少し疲れたようでしたが、無事なことがわかって安心しました

被害状況は明日以降にならないとわからないのでしょうが、被害が拡大しないことを祈ります
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by mm-nadachi | 2011-03-11 23:31 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(2)