今日で9日連続の夏日、30℃超の日が続いています
そーするとこんな景色が山間部のあっちこっちで見られます
なんだかわかりますか?
これはヨモギ(このへんではモチグサとも言います)の葉を干しているんです
なんのため?
艾(もぐさ)の材料にするんです
へー
実は名立には二つの“日本一”があって…
そのひとつがもぐさの生産量です
そのもぐさを取り扱っているのが私と同じ町内の佐藤もぐさ店です
*名立駅のホームから…
そこでためしにネットで検索したところ、なんと(いつの間にか!?)ホームページが開設されていた
㈲佐藤竹右衛門商店(http://www.nmc.ne.jp/hp1/takeemon/)
実は相方さんが若~いころこのお店に勤めていたことがあり、そのときに「全国一のシェアーがあるんだよ」ってことは教えてもらっていましたが、それはいろいろな人のHPや研究の中にも見えます
まずは「お灸のはなし」というHPから少し長いですが、私も自分の勉強という意味も込めてご紹介します
お灸は中国秦の時代に、湖北省から出土した木簡(竹に書いた文章)に記述があることから約2200年前には存在していた治療法と考えられます。日本には朝鮮半島を経て伝承したと考えられています。
欽明天皇の23年(562年)に高麗から呉の国の知聡が帰化した時にもたらした医書・『明堂経』の中に鍼灸のことが記載されており歴史上それが原点と考えられます。いまから1400~1500年前の事です。
その当時は自家用に各戸毎に製造していたようです。
大量に生産するようになったのは江戸時代からで伊吹山で主に作られていました。
1636年(寛永13年)、岐阜県の春日で記録文書が残っています。
その後長野県、滋賀県、富山県をはじめ各地で量産されるようになり明治6~7年頃には15府県で製造されお灸は国民の民間療法として浸透していきました。その後明治・大正・昭和の時代になり西洋医学の導入・戦後の国民生活の欧米化とともにもぐさの需要が減少、もぐさ工場も閉鎖に追い込まれるようになりました。
終戦間近は火薬の導火線がわりに使用されたもぐさですが、その頃はよもぎ生産、採取の関係上製造はほぼ新潟県に限られてきていました。30ヶ所あまりの工場が上越地方に集中していましたが現在は(平成13年)3工場しか上質のもぐさを作っていません。他に滋賀県に1工場あるのみとなりました。下級のもぐさは中国でも製作しているので輸入できますが、上質のもぐさは日本でしか製造出来ない非常に貴重なものです。日本人特有な繊細さと手先の器用さ、頭脳、勤勉さ、日本の気候、風土がかみ合った最高の技術です。小さくもぐさをひねる事ができるのも、この製法があればこそで日本の技術が世界一と言えるのも先人のおかげです。現在は、名立町の佐藤竹右衛門商店の「佐藤もぐさ」が日本の70~80%を占めています。この貴重な製法を後世に伝え、灸治療が無くならないよう、日本の鍼灸師、国民が支えていかなければならないと思っています
そして同様の内容が99.6に発表された織田隆三氏による「モグサの研究(11)産地について(2)」の「昭和以降の産地《新潟県》」の中にもあります
現在新潟県で最も規模が大きいのは(有)佐藤竹右衛門商店「佐藤もぐさ」である。当社は明治29年中頸城郡谷浜村鍋ケ浦(上越市鍋ケ浦)で創業したが昭和38年西頸城郡名立町へ移転した。高級モグサに限れば国内生産量の70%以上を占め、突出した存在である
ここまで長々と書いてきて以前にもこの話をこのブログに載せたことがあったな~と思い出しましたが、ここまできてしまいましたので、も少しお付き合いください
私の父は石工でしたので晩年は体のケアーにたびたびお灸をしていたもので、お灸の火をつける母に「熱っちゃいねか!」とかよく叱っていたものでした
私は幸いにもまだ(!)お灸の世話にはならずに過ごしてきていますが、ここ数日続く左肩のシビレにやってみましょうか…
で、も一つの“日本一”って…?