あこがれのまち“高田”

 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
 
 この詩からどんな音が聞こえてくるか。それは雪国に生まれ育ったものにしかわからないのかもしれません。事実、この詩にあるのは「音のない風景」なのです。
 上越市は昭和46(1971)年、高田市と直江津市が合併してできたまちですが、天和元(1681)年には高田の街並みが埋もれてしまう大雪で「この下に高田あり」という立て札が立てられたほどの豪雪地でした(近年は小雪ですが)。
 大雪は音もなく「太郎や次郎の屋根にふりつみ」、朝目覚めた太郎や次郎の前には、あたり一面銀世界が広がっているのです。「そういえば、昨日の夜は風もなく静かだったすけね」という親の会話を聞きながら…。
 このように、当地の冬と雪は切り離せないものであり、こうした生活の中で固有の生活様式や文化が引き継がれてきたなかで、地域コミュニティを一つの形態として今に残してきたのが雁木(がんぎ)です。
 雁木は、江戸時代(1650年頃)に大雪の中でも自由に歩けるようにと、個人が自分の土地を提供し、母屋を利用して家の前に出した庇のことであり、それが雁の列のように連なっていることから雁木と呼ばれています。
 時代の経過とともに町が変わり、人々の暮らしも雁木もそのかたちを変えてきてはいますが、今でも旧高田市街地の約15kmにわたり、雁木はその姿を残しています。
 雁木の幅は一間(約1.8m)にも満たず、お互い道を譲りあわなければすれちがうこともできません。雁木は厳しい冬を過ごすための優れた知恵であるとともに、この狭い空間から互助、互譲の心が培われ、それが地域コミュニティの形成に繋がり、今の時代まで雁木という形で人々が受け継いできたものと思われます。
 最初に雁木が建てられてから約350年。昨年JR高田駅前に「平成新雁木」ができました。この新雁木は江戸時代からの雁木を単純に建てたものではなく、今の町の形態・機能、周りの建物との調和などを図りつつ、これまで高田の人々が守り、伝えてきた知恵や文化をさらに将来へつないでいく新雁木として、21世紀の現代に置き換えたものとなっています。
 新雁木の空間がこらからのコミュニティ形成の場として、これまで伝えてきた互助、互譲に加え、自立という新しいコミュニティの形態が胎動する場となることを期待しています。

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これは2002年に「The Community」という年2回発行の機関誌に投稿した拙文で、実は年末の部屋掃除のときに久々に眼にしたのですが、今日、サックスのレッスンに行った高田の街(家)並みや雁木を眺めていたら…
それで思い出して原文のまま載せてみました
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この写真は高田の本町通りでも中心市街地からは少し離れたところのものですが、中心市街地はこうした《これぞ!》の雁木でもなく(いろいろ評価の分かれる)「新雁木」でもなく(“互譲”しなくてもすれちがうことができる)“アーケード”が架けられていて、そこにある某デパートは間もなく閉店されようとしています

こどものころ、父親にたまに連れていってもらった高田のまちは見るもの聞くものなにもかもが驚きの世界でした
東京から戻り就職したてのころ、自転車で通勤するときに見かける高田公園の桜は桃源郷のようでした
私たちの結婚生活の第一歩は高田市内の1LKのアパートでした

そのほかいろいろな思い出のある高田はいつになっても私にはあこがれのまちなのですが、これからどんなまちになっていくのでしょうか?
そして、雪を載せた雁木の風景をいつまで見ることができるのでしょうか?
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by mm-nadachi | 2010-01-17 21:55 | ふと思うこと | Comments(0)


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