昨日の続編です
神社での還暦祈願の後、同級生ですでに亡くなっている7人の供養を行いました
中学時代の同級生が確か(2クラスで)70人だったので(おかしな言い方になりますが)ちょうど10%です
10%というのはこの年齢にしてはきっと(異常なくらい)多いと思うんですが、それはまた後で…
供養してくれた住職も同級生だったんですが、読経の後、「たまたま彼らが先に亡くなり、今たまたま私たちが生かされているのです。彼らの分までこれからもしっかり生きていくことが彼らにとっても、そして私たちにも大切なことです」との説教に年齢相応の多くの後姿がうなづいていました
その後、約20年ぶりの同級会がありました
久しぶりに野球部仲間も(私も含め)3人集まって、当時のピッチャーから順に名前をあげていったのですが、そのうち(レギュラーメンバーで同級生は8人)の3人が亡くなっていることに気づいたのです
「8人のうち3人もって野球部は早逝!?」とのちょっとコワイ思いと「今を生かされている」という先ほどの説教の言葉が思い出されました
同級会の参加者は約40人くらいで、その中には中学卒業以来初めて会った人も何人かいて、女性でしたが名前を明かされても結局最後までどうしても思い出せない人もいたりして、約45年という時間の流れを痛感しました
そんなこともあって全員が簡単な近況報告をしたのですが、その中で一番印象的だったのが、「俺は中学卒業してからずっと漁師やっていて、これからも漁師には定年がないと思ってやっていきたい」って、(きっといろいろ大変なことが多いんだろうけど)その潔さに「みんなに久々に会えて嬉しいです」なんて当たり障りのないことを言った自分が本当にいやになるほど恥ずかしかったですね