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叔父さんを悼み…

ハーフマラソンを終えたランナーたちや観光客でにぎわっていた越後湯沢駅でとろろそばを食してから、横浜の叔父の葬儀(この日はお通夜でしたが…)に向かいました

叔父は戸籍的には私にとっては“母の妹の夫”になり、横浜で会社経営をされていました

川崎市内の新聞配達店に住み込み、新宿の某予備校まで通っていたころ、ときどきこの叔父の家に行っていました
元住吉という駅から東横線で横浜に出て、そこからバスに乗り継いで…かなり時間もかかったような記憶がありますが、それでもそこでいただけるご馳走とゆったりした時間を過ごすのが当時の楽しみでした
新聞店の生活がそうでなかったということではありませんが、ほかの住み込みの学生や専業の人たちと一緒に暮すのは田舎出のアンチャンにとってはなかなか大変なものでした

でも、この叔父は“無類の無口”で、仕事から帰られてもあまりご自身から話しだすということもなく、世間知らずで話題の乏しいアンチャンにはなかなか間が持てないときもありました
なので、普段はそのころ小学生だったいとこたちと一緒に遊んだり、叔母と田舎の話をしたりすることが多かったような気がします

そういえば、一浪して大学入試に合格した春休み、叔父の家に泊まりこみ、叔父の会社でアルバイトしたことがありました
叔父の会社はゴミ清掃車などの車両製作所(だったと思います)で、仕事は軽作業がほとんどでしたが、お昼休みに会社の敷地で会社のオニーちゃんたちと野球(ソフトボールだったっけ?)をするのが楽しみでした

都内のアパート(高円寺の3畳一間に3年間!!)に住んでいた学生時代もときどき遊びに行ったように覚えていますが、卒業後はこっちに帰ってきたこともあり、逆にこっちで帰省した叔父夫婦にお会いすることが多くなっていました

そんなこんなで時が過ぎ…叔父の体調不良は数年前から聞いていたのですが、なかなかお見舞いに行けず、結局、昨年12月、ブドウ園でのアルバイトが終わってからようやく行くことができたアリサマでした

かなり弱られたと聞いていましたが、久しぶりにお会いした叔父はそれほどでもなく、またその日は体調もよかったのか、私が行くというので来ていた(のでしょう)娘さんと3人で軽くビールも飲まれ、これまでのほぼ40年を越える間に話した以上の時間を昔話から病気のことまで、本当にゆっくりお話することができました

それから約10ヶ月でした

実はちょうど葬儀に日にわが家の菩提寺の檀徒研修なるもので横浜・鶴見の総持寺に行く予定で、その帰りにまたお見舞いに行くことにしていたのです

もちろん研修はキャンセルさせていただいたのですが、これもなにかの巡りあわせだったのでしょうか?

遺影は今年6月に金婚式を記念して撮った写真とのことで、やせたとはいえまだ幾分かはふっくらとした優しげな顔をされていました

敏岳徹樹居士
享年72歳の早すぎるご逝去を衷心から悼みます

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叔父はゴルフが上手かったようで、応接間には月例会での優勝トロフィーなどがたくさん飾られていました

今日は清々しい秋晴れできっと向こうでナイスショットをしていることでしょう

そんなことを思いながら久々の半袖Tシャツで今日も大豆のハサ掛けなんぞで汗をかいていました
叔父さんを悼み…_c0187298_219226.jpg

by mm-nadachi | 2009-10-01 20:58 | ふと思うこと | Comments(0)


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