息子たち

私には二人の息子がいますが、今日は長男の誕生日です。

彼が生れた日も今日のような薄曇の空だったような気がします。
初めて彼と病院で“会った”とき、義母が彼のちっちゃな手を広げ、「ほら、大丈夫。みんなついているよ」って言ったことを今でも覚えています。

そんな彼も33歳。
思えばよくぞここまで生きてくれたと思います。

というのも、ちょうど“おびやあけ”(これは全国共通語だと思いますが、“出産した後の床上げの日”という意味で、だいたい「出産後21日前後」)の頃に肺炎を起こしていて(そのことに気づくのが遅かったのですが)、家で急変して病院に着いたころには呼吸停止状態で、蘇生手当てで息を吹き返したということがあったのです。

そのとき父から職場へ電話があって、「おい、もうだめだってよ」って、最初はなんのことかさっぱりわからず、話を聞くうちに「そんなばかなことがあるか!」と思いつつ、病院にかけつけたとき彼はすでに保育器の中で、「今夜を越えればなんとかなるでしょう」という医師の言葉を信じるしかなく、その夜はただ病院の暗く寒い廊下を祈りながら歩き回っていました。

小学生のころ、野球を教えていたときに右打ちから左打ちにさせようとしていて、ようやくなじんできたなあと思っていたのですが、久しぶりに一緒にやってみたらなんと右打ちに戻っていて、「だって、左打ちってぼくだけなんだもん」っていうように、そのころは目立つのが恥ずかしい、どっちかというと内気な性格だったのですが、中学生のころから家の外ではかなり伸び伸びやっていたようです。

そして、高校に入学して入ったのがサッカー部!
そのころはなんたって「キャプテン翼」の時代で、彼も中学の野球が終わった段階で「これからはサッカー!」とすっぱり方向転換したようです。
なんどか試合の応援にも(黙って)行ったりもしましたが、とうとう彼のゴールを見ることはできなかったことが今でも心残りです。

高校時代のサッカーへの打ち込み方をみていたので、大学でも続けたらという私たちの声にはほとんど耳もかさず、彼が選んだ道は(これも)なんと“スタイリスト”!
彼の中でどうしてこの道を選択したのかはよくわかりませんが、4年間の専門学校を経て、7年ほど都内のデザイン会社で勤務した後、4年前に結婚をして、今は新潟市で個人でデザインの仕事をしています。
先日、私には父親(彼にとっては祖父)の職人肌DNAが遺伝していないと書きましたが、幸い長男に隔世遺伝したようです。

ついでにいえば、彼だけがわが家の男どものなかで唯一の“酒飲み”です。
これは私の母(彼にしてみれば祖母)の実家と妻の実家からのDNAでしょうか…。

彼の33年間をここですべて語ることもできませんし、思いつくままに書いてみました。
最近は少し太り気味なのでジョギングなどもしているようですが、仕事も忙しいようなので、これからも体に気をつけてがんばっていってもらいたいと父としては願っています。

最後に、昨年のバレンタインデイに長男夫婦からプレゼントされた彼がデザインしたオリジナルTシャツと今でも私がいちばん好きな写真(たしか5歳ころ)を載せて、“親バカ日記”を終わります。
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追伸

右上の写真は二男です。
9月3日にはもういちど親バカ日記になりますので、またおつきあいください。
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by mm-nadachi | 2009-02-24 22:10 | ふと思うこと | Comments(0)


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